覚醒書を遺書とした憂国烈士、江藤小三郎。
混沌たる世界、暗雲立籠む皇国。自然科学におかされ地獄道に落ちし民族。これを救う道、一事に極む。これ大自然に沿いし無私の心なり。無私の心、真我に通ず。真我集へば破るる事なし。国の大事、すべて無私より始まる。ここに気付き行えばあとは康し。一皇万民、天皇の許に真我が集う時、皇国毅然として興る。皇子皇民、一丸となり熱鉄玉を呑む勢いにて行えば世界万民を救う道をなすこと難くなし。我、神命により不生不滅の生を得む。ここに肉体を放棄し永遠の生命を得む。我「建国の日」に魂魄となりて、民族の危機にあたるものなり。
昭和四十四年二月十一日
今日の日本の惨状、没落への道を予見、危惧した咆哮ともいえる壮絶な書だ。
若干23歳の若者がどうしてここまで、と思うが、覚醒には年齢は関係ないのだとも思う。
どこかで聞いた話、世界でもIQがずば抜けて高い、文字通り天性の才能を持った人間というは、やはり年は関係なく、早くに「すべてに気づいてしまう」のだそうだ。そして悲観して死ぬものもあれば、逆に、すべてを捨てて自然派というか、自給自足の生活に身をおいたりなどするものもあるとか。
ついでに辞世の句。
「あらあらし 空にこみとり大楠の 大御心を誰ぞ知るらん」
「かくすれば かくなるものと知りつつも やむにやまれぬ 大和魂」
目覚めてほしい。あなたに。
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